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濱田滋郎対談》

 

『現代ギター』2009年4月号に、濱田滋郎氏(音楽評論家、スペイン文化研究家)と谷めぐみの対談が掲載されました。編集部の了解を得て、全文をご紹介します。

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濱田 谷さんのリサイタルを昨年10月に聴かせていただいて、ますます素晴らしいなと思ったんです。それがそのままCDになりましたましたね。それだけ周到に準備をされて成果を挙げられたからこそできることですよね。
  光栄です。ライヴ盤は、あまり作ろうと思って緊張していると本番で歌えないですよね。本番はやるだけやって、あとから聴いてみて決めよう、みたいな感じだったんですけど、周りが勧めてくれました。今回は特に〈セファルディーの歌〉が貴重な記録でしたので、それが背中を押したかな、という感じです。
濱田 バリュスの〈セファルディーの歌〉は、ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレスがレコードを出して、それから知っている人は知ってるという曲になったんですけど、伴奏がギターとフルートを使っていますので、ギタリストにも捨ててはおけない曲なんですよね。この西垣林太郎さんというギタリストは、若い方ですか?…あ、正信さんの息子さん?
  はい、息子さんです。私も今回人を介してご紹介いただいて、初めて組みました。
濱田 ギターは、全体の効果としてもいいですよね。
  彼が古い楽器を持ってきてくれましたので。
濱田 これから楽しみな存在ですね。これは誰が聴いてもいい曲ですよね。心の琴線にふれるというか。
  あの世界は、本当に、いわく言いがたい魅力がありますね。あの寂しさ、切なさ……
濱田 でも悲しいだけじゃなくて、とても愛嬌があったり可愛らしかったり。
  瞬間の「はっ」という楽しさもありますよね。子守歌の歌詞でも、おまえも大きくなったら学校に行くんだね、法律勉強す

るんだね、って歌っていて……。でも学校にだって行けるかどうかわからない、叶わない夢とか願いとか、自分たちには遠いところにある楽しい人生を夢みて歌う、そういう思いがありますね。
最後は恋愛と一緒で、好きだから好きなんですよね
濱田 ガルシア・モランテさんは谷さんの先生ですか?今回も先生の曲を歌われたわけですけど……
  このCDを作る目的として、セファルディーのことと、あと先生の曲をきちんとした形で残したいという思いがありました。舞台で歌ったり、こうして形に残すことが、不肖の弟子としましては(笑)唯一できるご恩返しですので。私は本当に、モランテ先生に教えていただいたおかげでスペインの歌を歌っていられるんです。
濱田 モランテさんは若いうちからロス・アンヘレスの伴奏されたりして、レコードもたくさんあるし。
  本当に、モランテ先生にスペインの歌の種を蒔いていただいたと思います。年月とともにその種が私の中でまた育っていてくれる、というのを感じて、すごく感謝しています。
濱田 モランテさんはピアニストですから、歌い手よりもかえって幅広く教えてくださる面があるでしょうね。それぞれの歌い手の味を出すように、というか。
  おっしゃる通りです。「絶対に人の真似をするな、メグミはメグミの歌を歌うんだ」ということをいつも言われて。日本ではなにか曲をいただくと、誰かのレコードを聴いて、真似してましたけど。
濱田 ギタリストでもそうですけどね、セゴビアとかイエペスのレコードを聴いて一生懸命勉強して。そうするとどうしても真似になっちゃうんですよね。
  私もロス・アンヘレスとかベルガンサのレコードを聴いて、一応曲を仕上げて持っていきますよね。で、レッスンしているとパッとピアノを弾くのをやめるんです。そして顔を見てね、「誰のレコード聴いてきた?」って言うんです(笑)。「ふだん僕が見ているメグミはそういうふうには歌わないだろう。今歌ったのはインチキだ」って。バレちゃうんです。ひどくても解釈が間違っていてもいいからメグミはメグミの歌を歌わなきゃいけない、ということを繰り返し教えていただきました。年を経るごとに本当にありがたい教えだったなと思いますね。
濱田 バルセロナで勉強するとカタルーニャ語が身につくのがいいですよね。〈鳥の歌〉1つ取っても、カステリャーノ(標準スペイン語)しか知らない人だと、何かおかしげな歌になっちゃうんですよね(笑)
  そう、もう似て非なるものですね。
濱田 新聞見ると字面が似ているから読めますけど、街で人たちが話してるのを聞いててもわかりませんしね。
  異次元空間に放り込まれたみたいになりますね(笑)。行く前は私もカタルーニャについて詳しかったわけでもなく、モンポウの『君の上にはただ花ばかり』の楽譜を持っていたぐらいの知識しかなくて。
濱田 ちょっとくぐもった、翳りのある発音ですね。
  モンポウもあとカタルーニャ民謡も、たくさん教えていただきました。アンダルシアなんかと全然違う、リリックな曲がたくさんありますね。
濱田 もちろんカスティーリャ語の歌も歌われるわけで、やっぱりレパートリーが広がりますよね。
  私はそれこそカンテ(フラメンコの歌)みたいなのはできないですけど(笑)、いわゆる南っぽいのも大好きです。〈エル・ビート〉とか〈グラナディーナ〉の類いも楽しくてすごく好きなんです。
濱田 こぶし回しがね。
  小気味いいですよね。
濱田 谷さんはスペインらしい、熱い声をしてらっしゃるんですよね。すごく燃えるものを持った声をしてらっしゃる。それも、
ご自身がスペインの歌を歌おうと思った要素の1つじゃないかと思うんですけどね。
  ありがとうございます、すごく嬉しいです。初めてお目にかかった方によく「なんでスペインの曲ですか」とか聞かれて、いろいろ考えるんですけど、理屈を全部超えて、やっぱり好きなんですよね。
濱田 私もよく「どうしてスペインですか」って聞かれるけど、スペイン語でよく「porque sí」って、そうだからそうなんだ、って答えるしかないんですよね。
  おっしゃる通りですね。
濱田 中学、高校とあらゆる音楽聴いてましたけど、その中でやっぱりいちばん深く心に触れて来たのがスペインの歌でありギター…セゴビアのギターとかスペルビアのカンシオンとか、そういうものだったんですよ。それでスペイン語始めて、というのがきっかけです。
  最後は本当に「porque sí」としか言いようがない。これはもう恋愛と一緒ですね。大好きだから。
濱田 好きだから好きなんだと(笑)。もう運命のようなもの、絆みたいなものでね。いつごろからですか?

  スペインの歌に目覚めたのは大学を卒業してからなんですよ。大学時代はドイツ・リートだったんですけど、卒業してたまたま知り合いになったギターの方が小さなコンサートをするから、プログラムの穴埋めに、「きみ声楽科出たんやったら、何曲か歌ってくれない?」と言われたんです。スペイン語なんか知らない、と言ったら「そんなんカタカナで歌えるし、僕が教えたる」とか言って(笑)ロルカ3曲ぐらいと、あと〈宮廷の歌曲集〉から2、3曲。言われるがまま、カタカナで歌ったわけです(笑)。今思えば顔から火が出ます。ところが、やっぱり運命でしょうか? それまで触れたいろんな音楽と自分にとってはまったく異質、しかもこんなに個性的な楽しい歌を歌っていいの!?と思ったんです。あれは、人生の大きな出逢いでした。とても強烈な印象でしたので、「じゃあ、他にどんなものがあるんだろう」と少しずつ探し始めて、というところから始まったんですよね。
濱田 お生まれは北海道で、大学が京都で(笑)
  ええ、東京はご縁なく、という感じでした。卒業するとよくみんな海外に行きますよね。私は大学の先生に勧められても、とんでもない!心のかけらも動かなかったんです。ところがスペインの歌を始めてから、「向こうで勉強できたらいいのにね」と言われて、本当に行きたい!と思ったんですよ。
濱田 でもいい先生のところにいらっしゃいましたね。
  本当に。あれが行ってイヤな先生だったり、意地悪な先生だったりしたら……(笑)。私はわがままな人間なので、何この先生、と思ったらもう続かなかったと思います。家族ぐるみで大事にしてくださり、本当にたくさんのことを教えていただきました。行く前よりもっともっとスペインが好きになって帰ってきましたね。
濱田 私が初めて伺ったのはいつなんだろう。
  たぶん帰国記念の第1回のリサイタルに来てくださったと思います。
濱田 割合早く私、清里スペイン音楽祭に谷さんをお招きしたことがありますよ。自分の耳で聴いて、この人はすばらしいと思えばこそお招きしたわけなんで。清里の雰囲気にもよく溶け込まれていたのを覚えてます。
  みんなで大騒ぎして、楽しかったですね(笑)
濱田 あと、ギタリストにとってはですね、福田進一さんが録音した〈プラテーロと私〉、あのときに谷さんが1曲、〈子守歌〉を入れくださったんですよね。あの素晴らしいディスクに、花を添えていただきました。
  あのときは突然お話が来て歌わせていただいたんですが、やっぱりスペインの歌って、まだあまり世に知られてないですよね。
濱田 私が始めたころよりは知られてきたと思うけど。
  こんなに素敵なレパートリーがあるということを、少しでも皆さんに知っていただけたらいいなと思って歌うんですけど。
濱田 まあスペインの歌にとって幸いだったのは、20世紀に名歌手が輩出してね。ロス・アンヘレス、ベルガンサ、ローレンガとか、あるいはテノールのカレーラス、ドミンゴとかが、みんな自分の国の歌を大事にして歌われる、あれは素晴らしいことですよね。
  ええ。かなりくだけた歌まで歌われますね。
濱田 アルフレード・クラウスがポピュラー曲を歌ってるのまでありましたからね。ひとつはスペインにはサルスエラという世界があって、だから軽い歌でもあまりギャップなく歌われますよね。
  サルスエラはまた、とっても楽しいですよね! 村芝居みたいに大笑いできますし。
濱田 一度合同公演みたいにして、サルスエラを歌われたらいいだろうなと思ってるんですけどね。
  サルスエラは、メロディーもシンプルでわかりやすいですよね。前に、おじさまの生徒さんがいらしたリサイタルでサルスエラの曲を何曲か歌ったことがありました。そうしたら次のレッスンのとき「先生、サルスエラというのは、日本でいう浅草オペラですね」って仰ったんです。言い得て妙だと思いません?我々に通じる日常の機微を歌っているのがすごく伝わってきますよね。今年はHakuju Hallで10月17日にリサイタルを開きますが、そのときもサルスエラを何か歌いたいと思っているんです。
濱田 スペイン語っていうのは、中南米というすごく広い世界があってね、あちらの歌まで歌えば本当に一生飽きない世界ですよね。
  本当になんでも歌えますよね。
濱田 お弟子さんはスペインの歌を歌われますか?
  少しずつ増えてきました。NHK文化センター八王子教室では、スペイン語で、スペインの歌や〈ベサメ・ムーチョ〉を歌っ

   ています(笑)みなさんとても楽しんで歌ってらっしゃいますね。
濱田 そういうポピュラー系の歌も歌われる?
    好きですよ、境目はないですね。いい歌は何でも歌います。クラシックの人間である私なりの歌い方がやっぱりあるわけですよね。そういうふうにアプローチすると、いろいろスタイルを変えて甦る歌がたくさんあると思いますので。
濱田 本当にポピュラーやフォルクローレの歌の世界にも、内容のあるいい歌が多いですよね。
  私は、スペイン語という言葉もすごく好きなんです。とても美しい言語で、憧れとともに大好きなんですよね。バルセロナではモランテ先生に発音も直されて直されて。それはもう厳しかったですよ。
濱田 日本語では特に、uの音が浅いんですよね。日本人はあまり表情をつけて話したりすると、はしたないと言われて。スペイン人は街で聴いても本当にバカバカ口動かして、話してますでしょ。あの違いですね。

1音1音の意味を感じながら弾くと人の心に訴えるものが違いますね
濱田 ぜひスペインの歌がもっと広まって欲しいです。
  でもこのごろは、楽譜が昔よりもっと手に入れにくくなってるみたいですね。
濱田 スペインの歌はそんなに需要が多くないせいか、方々に貸しましたよ。楽譜の貸し出し業をちゃんとやればもっと儲かったかなと、という感じです。
  楽譜って、財産じゃないですか。ある意味気軽に「貸してください」って言われるのはよろしくないと。
濱田 「本当に苦労して手に入れたものだよ」ということは、一言言いたくなりますよね。
  そうですよ。大切な大切な宝ものですからね。
濱田 貸したまま返ってこなかったりね。まあ歌ってくれるんだったらうちに楽譜が眠ってるよりはいいかと。
  でも先生のお宅って、それこそ資料に埋もれていらっしゃるんじゃないですか?
濱田 もう少し整理しておけばよかったなと思うんですけど、それだけ材料があるということですね。ギターで歌うというのはどうですか?
  選曲から意識が違いますね。ギターの方とは、すごく親しく、ぴたっと寄り添う感じで演奏できます。呼吸がパッと揃ったとき、無言の「やったね!」という感じが、ギターと一緒だとわかりやすくて。ノリのいい方とだと、声と声が寄り添っているような感覚でできるので、力まずに歌えるんです。
濱田 そうですね、ロス・アンヘレスさんも鈴木一郎さんとずいぶんコンビを組んでやっておられましたね。
  ロス・アンヘレスさんはアンコールでいつも自分でギターを弾いて〈アディオス・グラナダ〉を歌って。ボロンも弾けないから私は駄目ですけど(笑)、かっこよかったですよね。あの方がもういないと思うと、本当に寂しいです。私はモランテ先生のご縁でお目にかかり、日本にいらしたとき、マスタークラスの通訳をさせていただきました。生涯の思い出です。
濱田 まあ、人柄のいい方でしたからね。
  マスタークラスのとき、ある方がドリーブの〈鐘の歌〉を歌いました。そうしたらロス・アンヘレスさんが「あなたはこの鐘の音1音1音に、どんな意味があって、ヒロインがどんな思いでこの〈鐘の歌〉を歌っているか、それを理解していますか?」とお尋ねになったんです。「これはただの鐘じゃない。鐘を模倣しているけど実はその鐘に込めて彼女は自分の気持ちを表わしているんだから、歌い手はそれを表現できなければいけない」と。それでもう一度彼女は歌ったんです。そうしたらあの寛容な方が、「あなたは私の言ってることが何もわかってない」と、途中でストップをかけたんです。それに対して、また彼女が何か言い返したんです。するとロス・アンヘレスさんが「あなたのレッスンはこれで終わりにします、もう下がってください」って。そのあと、会場に向かってこう仰ったんです。「どんな音楽にも、どんな音にも意味がある。だから歌い手はけっしてマシンのように歌ってはいけない。音が何を語ってるかということをわかって歌わないと、歌う意味がないんだ」と。
濱田 それは素晴らしい教えですね。
  事あるごとに思い出します。それとモランテ先生がおっしゃった「メグミの歌を歌え」ということ。その両方を教訓にして、「私が歌うのはこうです」と言える歌を歌わなければいけない、と思います。きちんとできて、そのうえでやっぱりこう感じているからこうなのよ、というところまでいかないと。それがないと歌う意味も価値も、またおもしろさもないですよね。

濱田 ギターも、一音一音の意味を考え、かつ感じながら弾くのと、ただ正確に再現すればいいと言うのじゃ、全然人の心に訴え

るものが違いますから。そこは一番大事だし、譲ってはいけないところだと思いますよ。谷さんの、これからをまた楽しみにしております(笑)。
                                       (『現代ギター』2009年4月号より転載)
 
 

濱田滋郎先生は、2021年3月21日、天に還られました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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