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ファリャ再発見 

 ファリャの音楽、と聞いて、まず浮かぶイメージは…「灼熱のアンダルシア」だろうか。これでもか、これでもか、と押し寄せる野性的なリズム、時に爆発的に、時に妖しく鳴り響く旋律、一瞬の閃光のようでありながら、実は緻密に構築された音楽。とにかく熱い。音楽だけを聴くと、どんなに「濃い男」かと思ってしまうが、実際のファリャは痩せて小柄で、いつも黒ずくめの服、若い頃から禿げ頭の潔癖症。こう言っては何だが、地味で風采があがらない。性格は、律儀で、生真面目で、神経質。贅沢を嫌い、清貧に徹し、死後、自分の作品がただ儲けるためだけの商売に利用されないよう遺言まで残している。敬虔なキリスト教徒であった彼にとって、己の作品は神様への捧げものだった。だから最後まで、より純粋で美しく高貴な音楽を求めずにいられなかった。こんな人物の一体どこからあの熱い音楽が生まれて来たのか?人間の内なる魂の力に感嘆する。
 ファリャはスペイン南部の港町カディスの生まれだが、母親はカタルーニャ出身
というところが興味深い。音楽好きの母が幼いマヌエルにピアノを教えた。いわゆるステレオタイプの気質で分類すれば、熱いアンダルシアと沈着冷静なカタルーニャには多少ズレがある。カタルーニャ人の母親から生まれても、あんなに濃いアンダルシ的な音楽を作る。人間には、「生まれ」とは全く別の次元で、その人の魂の欲求、叫びがあることを、ファリャの音楽は教えてくれる

 同じことを、ホアン・マヌエル・カニサレスのコンサートを聴いたときにも感じた。カニサレスもカタルーニ人だ。再びステレオタイプ的に分類すれば、カタルーニャとフラメンコには多少ズレがある。そのカタルーニャから、パコ・デ・ルシアも認めるフラメンコギターのスターが生まれた。やはり、人間には「生まれ」とは別の次元で、その人魂の欲求があるのだ。お人柄は知らないが、舞台上のカニサレスは、とても真摯に、生真面目に、己の音楽に取り組んでいる方に見えた。彼がマエストロ・ファリャを尊敬し、「はかなき人生」や「七つのスペイン民謡」を独自の編曲で演奏していることも興味深い。

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わが子を腕に抱く母たちの祈り 

 夕方、最寄りの駅ビル。各ショップも通路も人で溢れかえっている。本屋さんで何となく雑誌を眺めていると、どこか遠くから声が聞こえてきた。「おかぁさ~ん!」さして気にも留めず、新書コーナーに移動して平台を眺めていた。すると、また聞こえてきた。「おかぁさ~ん!」あれ、さっきと同じ声だ…。と思ったところで、また聞こえた。「おかぁさ~ん!」気になって通路の方に出てみると、向こうのエスカレーターの横に小さな男の子が立っている。「おかぁさ~ん!」子どもの声はよく通る。通路いっぱいに響きわたる「おかぁさ~ん!」に、皆、一斉に振り向いた。男の子の周りには沢山の人がいるのに、ただジーッと見つめて立っている人、横目でチラッと眺めてエスカレーターを降りて行く人…。誰も助けない。男の子は手でグッと涙をぬぐって、もう一度叫んだ「おかぁさ~ん!」もう黙ってはいられない。私は混み合う通路を突っ切って、男の子に駆け寄った。「ボク、おかぁさんがいなくなっちゃったの?」「うん」利発そうな子だ。頬の涙をぬぐいながら、健気に唇をかみしめている。「大丈夫!ボクのおかぁさんを探してくれるお姉さんのところに行こう!おばちゃんが連れて行ってあげる」「そのお姉さんが、ボクのおかぁさんを見つけてくれるの?」「そう。お姉さんがマイクでおかぁさんを呼んでくれるから、ね」ウン、と素直に頷いて、男の子は一緒に歩き出した。「ボク、いくつ?」「6歳」ハキハキと答える。1階のインフォメーションで案内嬢に事情を伝えた。「じゃぁ、おばちゃんは行くから、お姉さんにお名前をちゃあんと言ってね」ウン、と、また素直に頷く。案内嬢の問いかけに答える男の子の声を背に、その場を離れた。ほどなく館内放送が流れた。「6歳の〇〇君が迷子になっておられます。お母様は一階のインフォメーションにお越しください」気になって耳をそばだてていたが、放送は一回しか流れない。ということは、母親がすぐに現れたのだろうか…。本屋に戻り、ひとしきり本を眺め、そろそろ帰ろう、と、エスカレーターを降りたところで、チラッとあの男の子の姿が見えた。母親らしき女性としっかり手をつなぎ、目をクリクリさせている。あぁ!よかったね!ボク。
 
2014年開催、第23回リサイタル『スペイン浪漫』で、ファリャの1914年の作品「わが子腕に抱く母たちの祈り」を歌った。プログラミングの段階では「お前の黒い瞳」というロマティックなタイトルの曲を選び、リハーサルを進めていたのだが、その間に世界のあちらこらからキナ臭いニュースが届くようになった。世界情勢がちょうど百年前、第一次世界大戦起きた頃と似ている、とも言われ出した。今こそ「わが子を腕に抱く母たちの祈り」を歌うではないか…。そんな思いが日ごとに強くなり、ピアノの浦壁信二さんにも相談し、ついにリギリになって曲目を変更した。

 「わが子を兵隊にとらないでほしい」と、ただ切々と願う母の歌だ。ずいぶん前にこの歌に出会った時、あぁこれはスペイン版「君死に給うことなかれ」だな、と、思った。わが子を思う母の心に、洋の東西も、時代の別もないことを、しみじみと感じさせられる。

 伝記によると、ファリャ自身はこの作品をあまり気に入っていなかったらしい。しかし誕生から百年を経た今、この歌は、時空を越え、ファリャ本人の思惑をも越え、熱く静かに存在の意味を放っている。

 マエストロ・ファリャ、ありがとうございます。

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