エンリケ・グラナドス讃
1867年7月27日、エンリケ・グラナドスは、カタルーニャ地方、レリダで生まれた。少年の頃から音楽に卓越した才能を示し、バルセロナでピアノと作曲を学んだ後、パリに留学する。先輩アルベニスをはじめ、フォーレ、ドュビッシー、ラベル、サン・サーンスら、当時を代表する音楽家達と交流、約2年間の充実した滞在を経て帰国。スペインを代表するピアニスト、作曲家、指導者として活躍した。
30歳になった頃、グラナドスはゴヤの絵に出会い、その世界に魅せられていく。ほの暗い宿命の香り、マホとマハの恋のさやあて、深い陶酔、切なさと儚さ…。自ら構想を練り、スケッチを描き、1911年、44歳の時に、ピアノ版『組曲ゴイエスカス(ゴヤ風の)』第1部を完成。さらに1914年、47歳の時に、第2部を含む『ゴイエスカス』完全版をパリで初演。熱狂的支持を受けた。
その物語をオペラにしないか、との話が持ち上がる。しかもパリの劇場が初演を引き受けるという。グラナドスは歓喜した。これぞ生涯の傑作と信じ、作曲に没頭。翌年、オペラ版『ゴイエスカス』完成させる。しかし時は、第一次世界大戦下。世はすでにオペラどころではなく、いつまで待ってもパリ初演は実現しない。憔悴するグラナドス。そこへ、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場から初演の話が舞い込んだ。彼は船が大の苦手だった。戦時下の海を渡る危険もあった。しかし、この機会を逃すわけにはいかない。グラナドスは心を決め、妻とともにアメリカへ渡る。
メトロポリタン歌劇場でのオペラ『ゴイエスカス』初演は大成功を収めた。グラナドスは時の人となり、祝福を受け、ついには、ホワイトハウスから招待状が届いた。グラナドスはすでに帰国の船の切符を準備していたが、この栄誉に、予定を変更せざるを得なかった。1916年3月11日、すべての行事を終えたグラナドス夫妻は、やっと帰国の途に就く。
3月24日、英仏海峡航行中、二人が乗っていたサセックス号は、船体に激しい衝撃を受け、まっぷたつに割れた。ドイツ潜航艇の無差別攻撃だった。グラナドスは一旦救助されかかったものの、波間でもがいている妻を見つけ、彼女を助けようと、再び海に飛び込んだと伝えられている。
ゴヤに魅せられた浪漫の芸術家グラナドス。その魂は、自身の作品よりもっとドラマティックに天に還っていった。
グラナドス101回めの命日
2017日3月24日、エンリケ・グラナドス101回めの命日が訪れた。
ニューヨークでオペラ『ゴイエスカス』初演の大成功に立ち会い、数々の賛辞を受け、ホワイトハウスにも招かれ、安堵と喜びに満たされてバルセロナへ帰る、その途中、グラナドス夫妻が乗った船は英仏海峡でドイツ潜航艇の無差別攻撃を受け、沈没した。いったん救助されかかったグラナドスだったが、波間でもがく妻アンパロを見つけ、彼女を助けようと、再び海へ…。二人の姿が戻ることはなかった。
グラナドスは泳げなかった。そもそも海が嫌いだった。ニューヨークへの船旅も渋っていたが、第一次世界大戦勃発のために、いつまでたっても日の目を見ない『ゴイエスカス』の初演を、メトロポリタン歌劇場が引き受けてくれたのだ。行かないわけにはいかない。いや、何が何でも行きたかっただろう。『ゴイエスカス』は、グラナドスが愛したマハとマホの世界そのものの物語だったのだから。しかし、意を決して敢行したその船旅で命を落とすことになった。悲しい戦争の犠牲だ。
第25回リサイタル《スペイン浪漫Ⅱ~エンリケ・グラナドス没後100年に捧ぐ》
マホとマハ~恋のお話
グラナドスの『Tonadillas~昔風のスペイン歌曲集』は大好きな作品だ。昔風の、というけれど、決して昔風ではない。古今東西、いつの時代にも通じる男と女のショートストーリー。過ぎた恋を懐かしみ、臆病な男を笑い、秘めた恋に揺れ動き、亡き恋人へ
の思いに慟哭し、好まぬ男をさらりとかわす…。グラナドスが「ゴヤの時代」への限りない憧れをこめた歌の数々は、粋でお洒落、甘く、切なく、小気味よく、どこかちょっぴり可笑しい。歌詞に登場するマホは下町の伊達男、マハは下町の粋な女、とでも訳そ
うか。決してマホ君とマハさん、というお名前ではありません、念のため。一曲一曲はごく短い。その中にグラナドスの魅力がギュッと凝縮している。まさに、山椒は小粒でピリリと辛い!スペインの粋を極めた最高傑作だ。
留学中、まだお元気だったグラナドスの末娘ナタリアさんのお宅を訪ねた。「パパの曲を東洋のniña (女の子)がこんな風に歌うなんて!」と驚き、かたく抱きしめてくれたことを思い出す。ナタリアさんがまだ小さな子どもだった時に、彼女のパパとママは、自作のオペラ『ゴィエスカス』のニューヨーク初演に立ち会った帰りの航路で、ドイツ潜航艇の無差別攻撃に遭い、亡くなってしまったのだ。グラナドスと親交が深かったカザルスは、慈善演奏会を開くなどして、ナタリアさんたち遺された六人の子どもを助けた。スペイン音楽の歴史に登場するナタリアさん。実際にお目にかかれたことは、本当に幸せだったと思う。